季節は移ろい、夏の暑さと共に彼は東京へと帰り、所々に秋の様相を示しだしていた。

だけど、私の心の中にはいまだに彼が残していった疑問が消えることなく、小骨がのどにつかえたかのようにすっきりしない日々を過ごしていた。

 それと同時にシネ研の皆との関係も、依然として仲の悪いままの状態が続いていた。彼が東京に帰る前にシネ研の仲間ともっとうまく付き合ってみると言ったものの、今まで陰険な関係を保っていた所為か、すぐには和解できるような雰囲気ではなく、どうにも尻込みしてしまい、いつまでも前に進めずに足踏みを繰り返しているのが現状だった。

「ふぅ……」

 だから、今もこうして北海道大学のキャンパスの隅のベンチに腰掛け、踏ん切りがつかずに何度もため息をついていた。

 そんな中、ふと構内を見回してみるとあたりの木々がかすかに色づき始めるのがちらほらと確認できた。

「たまには身近な自然を撮ってみるのも面白いかも」

 わざわざ言葉にして立ち上がる。

 また逃げ出そうとしている自分に後ろめたさを感じながらも、バッグからハンディカムを取り出した。

「こうして少しずつ変化していくのを撮っていくのもいいかもしれないわね」

 心に溜まったわだかまりをごまかすように独語しながら歩き回る。だけど、どうしてかそれらをうまくフィルムに収められるような気がしなかった。

「ふぅ……」

 またため息だ……私ってこんなにため息ばかりつくような奴だったかしら?

 そんなことを思いながら、カメラを片手に構内の木々を呆然と見渡しながらふらふらとさまよっていると、

「どうしたの、京子?」

 弾むような明るい声が背後からかけられ、私の両肩に白くて小さい手がのせられ、

「今日も撮影?」

 お人形のように整った顔が、私の肩越しに顔を覗きこんできた。

「……理子」

 彼女の名前は、桂木理子。シネ研とはまったく関係ないただの友達で、私の創った映画の自称ファン一号とのことだ。

 でも、私としては理子には、シネ研に入ってもらって役者として撮影を手伝って欲しいくらいだった。だって、こんなにもカメラ映りのいい顔立ちと、物怖じしない明るい人柄は役者に向いているとは思うんだけど、理子にその気がないみたいだからあきらめるしかない。

「でも、電源が入ってないよ。もう終わったの?」

 理子が胸に抱えていたカメラを見ながら言った。

「えっ?ええ……今日はもう……終わり………」

 実際のところ今日は―――というより最近は、何もフィルムに映像を納めていない……撮影する気になれるようなものが見つけられなかった。

 歯切れの悪い返事に、理子が私の正面へと回りこみ、

「撮影旅行から帰ってきてから何だか元気ないね」

 私の手を取って、

「何かあったの?」

 心配そうにジッと見つめた。

私は、その心の中を覗き見るような視線から目を逸らし、

「別に……何もなかったわよ………ちょっと体調が良くないだけ」

 理子が一瞬いぶかるように表情を硬くしたけど、すぐにいつもの微笑むような顔で、

「じゃあ、京子。一緒にご飯でも食べない?おいしいものでも食べれば少しは気分もよくなるって!ね?私がおごっちゃうからさ?」

「え?……ええ…いいけど………」

 ちょうど夕方で、お腹が空いてきたところだ。

「決まり!さっ、行こ!」

 理子が行き先も告げずに私の手を強引に引っ張り、構外へと連れ出していった。



理子に引き連れられ、札幌駅構内の6階、ステラプレイスにあるカレー研究所の席に座らせられ、勝手にチキンスープカレーを頼み、10分もかからずに二人の前に運ばれてきた。

 運ばれてきたチキンスープカレーは、チキンは当然入っているとして、ゆで卵と半分に切ったタマネギが入ったシンプルなものだった。

「ほら、京子。遠慮せずに食べなよ」

 理子に勧められて、スプーンですくって口に運び、ゆっくりと咀嚼していると、

「……かっ!………」

 予想以上の辛さにうめくように声を漏らすと、

「か?」

 理子が面白がるように聞き返してくる。

「からっ!」

「あはははははっ!」

 急いで水を飲む私を見て、腹を抱えて理子が笑う。

「理子っ!」

 一息ついてから、理子を睨みつけ、

「わざとやったでしょ!」

 ここのカレーは、追加料金を払うことで五倍か十倍の辛さを足すことが出来るようになっていて、この辛さからすると十倍のようだ。

「いいじゃない。私のだって同じ辛さなんだから」

 そう言って、理子も一口食べ、

「あ〜〜辛いっ!」

 すぐにコップに手を伸ばして水を飲む。

「そういう問題じゃ―――」

 言いかけて、思い出す。理子は辛いものがそんなに好きではなく。むしろ甘いものの方が好きだったはず……

 まったく無理しちゃって……

 あ〜とか、う〜とかうめきながらもカレーを口に運んでいる理子を見て、笑みがこぼれる。理子なりに私を元気付けようとしているのだ。

「ねえ、理子。理子は私の味方だよね?」

 言って、はっとする。私は何を言っているんだろう……

「ごめん……今の忘れて………」

「そうねぇ……」

 理子はスプーンを置いて、真剣に悩みだし、

「私は中立かな」

「へっ?」

 予想外の答え。私の中にはない言葉。

「私は、京子と一緒にいたいと思うからこうして一緒にいるけど、京子が失礼なことや間違ったことをするようなら、『こらっ!』って京子をしかったり、止めたりすると思うの」

 理子は言ってから首を傾げ、

「あれ?でも、これって味方ってことなのかな?」

 また悩みだしてしまう。

「中立……」

 なじみのない言葉。『敵』と『味方』の間。

「そうだ!」

 理子が唐突に席を立ち、

「ちょっと来て!」

 私の手を取り、またもや強引に引っ張り、どこかへと連れ出そうとする。

「今度は何?」

 戸惑いつつも、理子に従った。



理子に連れられて来たのは、同じ札幌駅構内のJRタワーの展望室、T38へと向かう途中の券売機の前だった。

「展望室?」

 連れてこられた意図がわからずに思わずこぼす。

「そっ。はい、チケット」

 理子が簡単に答えて、券売機で買ったチケットを差し出し、私は機械的にそれを受け取る。

「今なら良い夜景が見れるはずだよ」

 そう言って、受付の人にチケットを見せてから、私をエレベーターの中へと誘導する。

 エレベーターの中には、札幌の市街地図の上に、東京、京都、ニューヨーク、パリの地図が重なり合ったものが描かれていて、知っている街と知らない街が重なり合っているそれは、何だか不思議な感じがした。

「ほら、もう着くよ」

 理子が言うと同時にエレベーターの扉が開いた。

 私は理子に手を引かれ、エレベーターから出ると、扉が閉まり、薄くて青い頼りなさ気な照明だけの薄暗い空間へと変貌する。そして、

「わぁ……」

目の前の大きなガラスの先に見えるもの。眼前に広がる白い明かり、赤い明かり、黄色い明かり……多種多様な明かりが、点々とそこかしこに広がり、さながら空の星が舞い降りてきたかのように街を美しく彩っていた。

「どう?綺麗でしょ?」

 理子が、まるで自分の物を見せびらかしているかのように自慢気に言って、ガラス張りの窓のすぐそばにある段差に腰掛ける。私も理子に続いて隣に腰掛け、返事をするのも忘れ、食い入るように地上の星を見つめた。

「ねぇ、京子」

 しばらくしてから理子が口を開く。

「この明かりの中に京子の味方はどれだけいるのかな?」

「……ほとんどいないと思う」

 それは至極当然のことだろう。会ったことなどない、名前も知らない赤の他人なんだから。

「じゃあ、敵は?」

「……それもいないはず」

 そう答えて、初めて理子の意図に気がついた。

「……理子」

 理子は軽やかに微笑んでいる。

「京子は、なんでも白黒はっきりさせすぎなんじゃないかなって、私は思うの」

 言いながら、理子は夜景を指し示し、

「この街だけでも京子の知らない人がたくさんいる。その誰もが敵でも味方でもないでしょ?だから、中立なの。京子もそう思わない?」

「そうかもしれないわね」

 理子がうんうんと頷き、

「私、あいまいなものも時には素敵だと思うの。このただの街の明かりが集まって出来た夜景みたいにね」

 不規則で適当、だけど美しい夜の景色へと視線を移した。

「ありがとう、理子」

 その言葉は、気負うこともなく、自然と素直な気持ちで言うことが出来た。

「映画、がんばってね。もし京子ががんばるのなら私も応援しちゃうよ」

 理子が、もう一度私を見て、

「素人で良かったらだけどね」

 はにかむような笑みを浮かべた。

「うん」

 がんばろう。心の底からそう思った。

 それはシネ研の皆との関係の改善も含めてのことでだ。

 今までの私は自ら敵を作っていた。自分の意見を押し付け、相手を遠ざけるようなことばかり言っていた所為で、中立―――もしかしたら味方だった人さえも敵になるようなことをしていた………

 だからあの時、あなたは、決め付けるのは良くない、と言った。今ならそのことがはっきりと理解できる。

 がんばろう。私から踏み出すことを。相手を理解することを。

 ありがとう。あなたと理子がいなかったら私は永遠に気付くことなんてなかったかもしれない。

 『敵』でも『味方』でもない、身近な『中立』を『味方』に出来るようにがんばっていこう。



END